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《みらデイヴィット》の街なかエッセイ 2

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連載 みらデイヴィット

名称未設定-2

《みらデイヴィット》の街なかエッセイ

 

2 犬のようちえんバス

 

 こんなお迎えバスがあるとは知らなかった。愛犬家の友人たちに聞いて回ったが、都内在住者にも「見たことない」と言われる。

 見かけたのは港区青山である。高層マンションの前に停車していたワゴン車に〈犬のようちえん〉と書かれていたので待ち伏せをした。現場を見なければ気がすまなかったし、会社名だったりしては……。観察していると、リードをつけた二匹の小型犬が連れられて出てきた。

 さしずめ幼稚園の先生だろうか、男性はワゴン車に乗せる。犬のほうも慣れていて嫌がる様子がない。きっと部屋で退屈するより幼稚園は楽しいのだ。 昔は〈お座敷犬〉と言ったものだが、若い世代に言ったら「なにそれ?」と怪訝な顔をされそうな死語である。しかし室内犬の愛犬家は増えている。総合住宅で犬を飼うこと、飼い主が高齢化して自身の散歩もままならない、など様々な理由から、犬にとって夢のような話だ。

 地方でこの話をしたら、「老人のデイサービスとおんなじだね」と切り返され、何が同じ? と納まりきれない気持ちになる。

 もともと幼稚園が開設された過去の事情は、根深いものがあった。

 明治九年(一八七六)、国内最初の幼稚園が開設された。といっても小学校の就学率が低かった時代には、園児の数も微々たるもので、幼稚園はぜいたくなものと見なされていたようだ。

 創設の最大急務となったのは、「悪魔の幼稚園」の「不健全・不善良の雰囲気」からの隔離だった。

 「悪魔の幼稚園」とは幸田露伴が目を向けたことで、大学・高校。中小学校よりも幼稚園の開設が急がれることを提唱した。

 その当時、子守奉公の娘や乳母に背負われたり、遊び相手をまかせていた背景がある。純真な幼児たちが彼女たちによって不健全な雰囲気を吸収させられてしまうことを危惧したのだ。

 そういうわけがあったのか。現代では幼稚園に行くのはあたりまえになった。子どもとは縁遠いと思われた露伴の教育観に驚かされる。

 犬も老人も対等に考えられはしないが、似ているのは今日行くべき場所があるということ。つまり〈今日行く〉=〈教育〉と言ったら、それ受け売りだろ!と声がした。

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