1 灰汁運 凶運 婦運
久しぶりに日野町通りを歩く機会があった。このあたりは曲師町といい、由来は宇都宮城下のこのあたりに曲師が多くいたとか。
オリオン通りから東へ、今小路通りまでの短い道々、ぶらりぶらりと目的もないまま懐かしい店をのぞく。消えた店や昔はなかったな……この店は、とつぶやく。
そうだ、角を曲がればあの店がある。思い立って進む。昼時の路地はかんさんとして、ノラ猫さえうろついていない。
夜になれば灯りがともる飲み屋が集まっているが、日中の明るさがむしろ不気味な気がしていた。
そうそう、ここだ!と立ちどまると同時に屈んで、ショーウインドーのなかを見回した。そのとき、背後から傘を広げたように黒いかたまりが覆いかぶさった。
とっさに振りかえり、「危ないじゃないの」と言おうか、「ごめんなさい」と言うべきなのか、こういう場合は……とことばに詰まる。
足音もなく貼りついてきた影は、黒い革ジャンの大きなクマだったのだ。マスクにサングラスは花粉症なのかと、のぞこうとしたときクマはつんのめりそうに急回転した。そして数メートル、来た方向に歩きだし、腰に手をあててビルの看板を見上げたのだ。まるでコントである。
つんのめってそのまま追い越して行ってくれれば、不審に思わなかったものを、不自然な、というかわかりやすい行動でピンときた。これって、ひったくりでしょ。
「交番はパルコの横にあるのよ」と引きずって行きたかったが、相手がクマではねえ。そのあと膝がふるえだしてきた。
ひったくりのクマよ。私のゆるんだ歩行の後ろ姿から、おおよそ楽勝の目星をつけたんかい。〝クマ出没注意〟の貼り紙は街中まで必要になったということだ。みなさん、白昼の裏路地にご注意ください。
それにしても救ってくれたのは、なんの運だったろう。灰汁が染み出した中年婦人の灰汁運?凶運? 吉凶のふりわけは結果よしで運は運。バッグごと奪われたことを想像した直後から、しばらく立ち上がれず、得体のしれない〈運〉にありがとうと思わずにいられなかった。
*今回かエッセイを担当する《みらデイヴィット》です。宇都宮にとどまらず、目・耳・舌のアンテナで感じたことを連載していきます