今月の詩人 山本 十四尾

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ここに掲載した詩は短いもの、あるいは一部抜粋であるが、いずれも古い詩集から選んでいる。佳い詩は何十年たっても古びない。それだけでなく鮮烈な色彩を読者にあたえ続ける。詩の書き手のみならず、読み手にもそう感じてもらえたら編集者の喜びである。

カレンダーの絵に用いられた版画は、1971年刊『断続』に直に貼られた和紙版画を再現している。当時も今も、このようにしゃれた詩集はない。限定部数だったようだが、現在では入手できない貴重な詩集である。

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作品「蝶」をみると、幼い息子に呼びかける父親が、まぎれもない詩人であると感じさせる。30代に入ったばかりの若い父親だが、児の言を見逃していない。俗に子どもは天性の詩人だと言われる。毬だと言ってせがむ幼児の頭上には青空が開けよ、と明るい未来を託す親ならではの情は、誰にも通ずる。

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「小便小僧」の像は平成っ子にわかるまい。昭和の匂いが残る詩篇では、ソフトクリームを食べる東京タワーという発想がにくい傑作である。〈子どもは天性の詩人〉とはいえ、成人への過程で純真な発見力は剥がれおちる。この詩では、いかにその視点を保つべきかを教えてくれる。柔軟な心眼がとらえたきっかけに鉄道記念日があり、そのため像は鉄道員の衣装を着せられていたようだ。それが可愛かったのだろう。詩人は職に就いたばかりの20代はじめ、自身が都会の喧騒に揉まれるなか、悠々と立つタワーに何を重ね見ていたのか。とき色の綿雲の取り合わせが実にうつくしい。

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副題に「故 岩間義昭に」とある「つけもの石」で青年の名は気にかかる。職場の部下だった青年だ。信州出身の20代になったばかりの彼は、夜間大学に通う努力家だった。諸事情を見かねた山本は自分が住む公団住宅に住むようにすすめ、居候させる。わずか数年ののち、青年は病にたおれ、23歳で生涯を閉じた。
息をひきとる寸前に何かを言おうとしたようだが、力尽きた最後の言葉は聞き取れない。それが抜粋部分なのである。いちばん近くにいた山本に彼の無言の言葉は通じていたことだろう。

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「鯖雲」は鰯雲とも言う。はじまり4行の簡潔な文体に、森鴎外の世界がある。余分な水気を除いた表現は、読む者にくっきりとした情景を描かせ、雪降る寒さは詩人の心中である。幼くして亡くなった実兄と母を思いおこすとき、かじかむ手の冷たさとなって詩人に再現させたことを思う。

山本十四尾は後に、自身の詩姿について次のように語っている。
「年を重ねるたびに感動する度合いが淡くなってきている。そんな中、世界を観察するとき感慨を刺激する生き様を目にすると強烈なインパクトを受ける。爽達な生の実感を共有できる詩の創造こそ、こころを揺さぶり静止させて、精神を浄化できる道であろう。こころを癒すことができる詩のみが、その存在を価値あらしめていくにちがいない」
この信条がカレンダーに取り上げた詩篇に織りこまれていることを体感する。